葬儀に行かない選択肢もある。故人を偲ぶ本当の意味を訪問介護の現場から考える

介護の基礎知識
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訪問介護士として働きながら、介護・老後・終活について発信しています。

母を孤独死で亡くしたことをきっかけに、「もっと早く知っていれば」と思うことがたくさんありました。同じ思いをする人を減らしたくて、このサイトを始めました。

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この記事でわかること

  • 葬儀に参列しないという選択肢が存在すること
  • 故人との関係性によって「別れの形」は異なること
  • 介護現場で見えた「看取り」と「偲ぶこと」の違い
  • 自分たちの世代だからこそ考える必要のある葬儀観
  • 後悔しない選択をするために今から準備できること

50代だからこそ考える「葬儀」という儀式

突然ですが、みなさんは葬儀に必ず参列しなければいけないと思っていますか?

私は訪問介護士として10年以上、人生の終わりに近い場面に数え切れないほど立ち会ってきました。その中で感じたのは、「故人を偲ぶ方法は一つではない」ということです。

50代という年代は、親の介護と自分たちの老後準備が重なる時期です。同時に、親世代が次々と人生を終えていく世代でもあります。当然、葬儀に参列する機会も増えてきます。でも、その中で「本当にこの形が正解なのか」と疑問に感じたことはありませんか?

数年前、あるドキュメンタリーで見かけた明石家さんまさんの話が心に残っています。彼は「葬儀には参列しない」という自分のルールを、30年以上守り続けた人物でした。それでも、ある人の「偲ぶ会」には参列した。その理由を聞いた時、私は自分の親を孤独死させてしまった自分の経験と重ねて考えずにはいられませんでした。

今日は、介護の現場で見えた「別れの形」について、同じ50代の視点で一緒に考えてみたいです。

介護現場で見た「葬儀」の現実

訪問介護の仕事をしていると、利用者さんが亡くなった後、ご家族がどのような形で故人を見送るのかを聞く機会があります。その中で気づいたのは、葬儀の形は本当に多様だということです。

大きなお葬式をされる方もいれば、ごく限定的な家族葬にされる方もいます。中には、遠く離れた親戚の葬儀には参列できず、後日に自分たちのタイミングで故人を偲ぶ時間を作られる方もいます。

訪問介護の現場では、その人の最後の数ヶ月、あるいは数年に関わることが多いです。毎日のように利用者さんのお宅に伺い、身体介護や生活援助をしながら、その人の人生の片鱗を知ることになります。

「先生、私はこんなことをしてきたんですよ」

利用者さんが人生について語ってくれることもあります。そして、多くの場合、その人が何を大切にしていたのか、誰を思っていたのかが見えてくるんです。

だからこそ感じるのは、葬儀という形式よりも、その人がどう生きたのか、そして今その人をどう思い出すのか、その方がずっと大切だということです。

さんまさんが「参列しなかった」という選択

先ほど触れた明石家さんまさんの話をもう少し掘り下げてみます。

彼は、長年関係のあった女優さんが療養施設に入った際、一度も見舞いに行かなかったそうです。その理由を本人が語った言葉が心に刺さりました。

「弱った姿を見たくなかった。もし会いに行っても、相手が自分を忘れていたらその残酷さには耐えられない」

これは、彼のお笑い芸人としての美学かもしれません。でも同時に、普通の人間の、正直な感情だと思いました。

私自身、母を孤独死させてしまったという後悔を抱えています。もし当時、定期的に会いに行っていたら。もし、もっと注意深く様子を見ていたら。そういう思いは、今でも消えません。

ですから、さんまさんが「会いたくない」と思った気持ちは、十分理解できるんです。それは冷淡さではなく、その関係性をどう守るのかという、ある種の優しさなのかもしれません。

ただし、だからこそ、最後の別れの場には参列した。それも、特別な形で。

「葬儀に参列する」ことと「故人を偲ぶ」ことは別問題

介護現場で何度も目撃してきたのが、葬儀と遺族の気持ちが必ずしも一致していないという現実です。

例えば、物理的に参列が難しい遠方の親戚もいれば、仕事の都合で難しい人もいます。また、複雑な家庭事情があって、参列しない選択をする人もいます。

かつてのように、「葬儀には必ず参列すべき」という暗黙のルールは、少しずつ変わってきている気がします。

むしろ大切なのは、その人のことを心の中で思い続けることではないでしょうか。

訪問介護で関わっていた利用者さんで、亡くなった後も、ご家族がその人の誕生日に花を飾ったり、好物の料理を作ったりされている例を何度も見ました。そういう、自分たちのペースで故人に向き合う時間の方が、よほど意味深いことが多いです。

葬儀という形式に参列することは、社会的な責任の一つかもしれません。でも、それが「故人を大切に思っている」ことの証拠ではないんです。むしろ、その後の日々の中で、どうその人のことを思い続けるのか。それが本質だと私は考えています。

我が母への向き合い方と後悔

ここで、私自身の原体験について少し触れておきたいです。

母子家庭で育った私は、母を孤独死させてしまったという後悔を今も抱えています。

当時、葬儀にはきちんと参列しました。形式は整えました。でも、その後に強く感じたのが「それ以前にできることがあったのではないか」という問いかけです。

母が健康だった時に、もっと頻繁に会いに行く。日々の変化に気を配る。ただそばにいる。そういった、葬儀よりもずっと前の時間の方が、今になって思うと、どれだけ母を幸せにしていたのか、それは計り知れません。

逆に言えば、葬儀をどんなに立派にしても、その前にしてあげたことが全てなんです。

これは、今の50代の世代にとって特に重要な気づきではないでしょうか。私たちの親はまだ生きています。親の介護と向き合い、その人生の最後の時間に立ち会う。その機会はまだあります。

葬儀の形をあれこれ考えるよりも、今この瞬間に親とどう向き合うのか。そっちの方がずっと大切だと、私は心底感じています。

訪問介護士として見えた「看取り」の在り方

グループホームでの経験を経て、現在は訪問介護で働いています。その中で見えてくるのは、施設での最後と在宅での最後の違いです。

施設で見送られる方は、スタッフに囲まれた形で最期を迎えます。それも大切な形式です。でも、訪問介護で見送られる方は、自分の家で、自分のペースで、最後の時を迎えることが多いです。

どちらが幸せかと聞かれたら、私は「その人次第」だと答えます。

ただ一つ確実に言えるのは、その人が最後に誰のことを思い出すのか、どこで死を迎えたいのか。そういったことが実現できていると、その人の人生はどこか満足度が高い気がします。

そして、残された遺族の方も、変に罪悪感を抱えずに済むんです。「できる限りのことをしてあげた」という感覚が、葬儀の場でも、その後の人生でも、心の支えになるんですよ。

葬儀に参列するしないも、その延長線上の話だと思うんです。参列することが「できる限りのこと」なのか、それとも別の形が「できる限りのこと」なのか。それは関係性によって異なります。

50代が今から決めておくべき「我が家のルール」

さて、ここからは、同じ50代の皆さんへの提案です。

私たちは親の介護を現在進行形で経験しながら、同時に自分たちの老後を考える世代です。その過程で、自分たちがどのような最期を迎えたいのか、葬儀をどのような形で望むのか、そういったことを考える絶好の機会があるんです。

実は、これを早いうちに決めておくことで、後々の気持ちの負担が随分軽くなります。

例えば、私の場合は、超豪華なサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に入るのが理想です。経済的には苦しいですが、そこに向けて資金計画を立てることで、今の仕事のモチベーションも出てきます。

同時に、葬儀についても「自分はどうしたいのか」を考えておくことは大切です。

  • 大きなお葬式がいいのか、家族葬がいいのか
  • 故郷で見送られたいのか、今住んでいるところでいいのか
  • 墓地はどうするのか
  • 子どもたちに経済的な負担はかけたくないなら、生前にどう準備するのか

こういったことを、親の介護を通じて考える。その過程で、エンディングノート(#)を作成してみるのも良いでしょう。

遠く離れた親戚だからこそできる見送りがある

ここで、葬儀に「参列できない」というシチュエーションも考えてみます。

50代にもなると、兄弟姉妹が全国に散らばっていることも珍しくありません。親の葬儀には参列できても、親戚の葬儀には参列が難しいことが増えていきます。

そういう時、どうするか。

昔なら「参列できないのは失礼」という感覚が強かったかもしれません。でも今は、その人なりのペースで故人を偲ぶ方法が認められてきています。

遠く離れた親戚の方の訃報を聞いたら、お線香を上げるために親戚宅を訪問する。あるいは、後日改めて時間を作って、その方の思い出の場所を訪ねる。葬儀という形式ではなくても、関係性を大切にする方法はあるんです。

訪問介護の利用者さんで、遠く離れた祖父母が亡くなった時に、孫さんが「葬儀には間に合わなかったけど、おじいちゃんの好きな景色を見に行った」と話してくれたことがあります。その方のご家族は、それを素敵だと感じていました。

形式よりも、気持ちが大切だという、シンプルな話なんです。

後悔を減らすために、親と「今」向き合う

最後に、私から同じ50代の皆さんへのメッセージです。

葬儀について考えることは、突き詰めると「今、親とどう向き合うか」という問題に直結しています。

私は母を孤独死させてしまいました。その時に、葬儀をどうするかという問題よりも、先に感じたのは「もっと早くできることがあった」という後悔です。

親が健康なうちに。親が一人きりになる前に。そういう、日々の積み重ねの方が、最後の別れのときに与える影響は計り知れません。

だからこそ、今この瞬間に親と繋がりを持つこと。親の変化に気を配ること。ただそばにいることの価値を、50代だからこそ痛感してほしいんです。

葬儀は、その後のお話です。その前の部分を、今、どう生きるのかで、後々の気持ちの充足度は大きく変わります。


よくある質問(FAQ)

Q1. 葬儀に参列しないことは失礼にあたりませんか?

A. 現代では、物理的な理由や複雑な事情で参列が難しいケースは珍しくありません。大切なのは、その後にどう故人を思い続けるのかです。訪問介護の経験から言えば、参列できなくても、後日改めて故人を偲ぶ時間を作られるご家族は、心の充足度が高い傾向にあります。

Q2. 親の介護と葬儀の準備を同時に考える必要がありますか?

A. はい。50代という世代は親の介護が現在進行形で、同時に自分たちの老後も考える必要があります。親の葬儀について考える過程は、必然的に自分たちの最期について考える機会になります。親を看取る経験そのものが、貴重な学びになるんです。

Q3. エンディングノートは本当に必要ですか?

A. 強くお勧めします。法的な拘束力はありませんが、自分がどのような最期を迎えたいのか、葬儀をどうしたいのかを言語化する過程は、人生の整理につながります。また、ご家族の負担を減らすことにもなります。

Q4. 遠く離れた親戚の葬儀に参列できない場合、何か失礼にならないお別れの方法はありますか?

A. 形式にこだわる必要はありません。後日改めて、その方のゆかりの場所を訪ねたり、お花を送ったり、思い出を家族で語り合ったり。様々な方法で故人への思いを表現できます。遠距離だからこそできる、別の形のお別れもあります。

Q5. 生前にどの程度の資金を葬儀費用として準備しておくべきですか?

A. 平均的には150万〜200万円程度が目安とされていますが、希望する葬儀の形によって異なります。エンディングノートで「家族葬で良い」と書いておくことで、費用を抑えることもできます。生命保険(#)の活用も検討の価値があります。


まとめ

葬儀に参列するしないは、その人の人生観や関係性、そして物理的な事情によって異なります。大切なのは、形式よりも「その人をどう思い続けるのか」という気持ちです。

50代の私たちは、親の介護を通じて「人生の最後」について学ぶ貴重な立場にいます。その過程で、自分たちがどのような最期を迎えたいのかを考える機会でもあります。

親が生きているうちに、頻繁に会い、その人の話を聞き、ただそばにいる。そういった日々の積み重ねが、最後の別れを迎える時に、悔いを減らすことに繋がるんです。

私は母を孤独死させてしまったという後悔を抱えながら、今、訪問介護の現場で他の誰かの親御さんの最期に立ち会わせてもらっています。その中で感じるのは、葬儀という儀式よりも、その前の時間の方がずっと大切だということです。

もし、親との関係に少しでも違和感を感じているなら、今この瞬間に連絡を取ってみてください。会いに行ってみてください。ただ話を聞いてみてください。

50代だからこそできる親孝行があります。そして、その延長線上に、自分たちの納得できる最期があるんです。


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